『バモ日本』という応援歌をご存知でしょうか?
『オー バモニッポン
ニッポン ニッポン バモニッポン
オイ!オイ! オイ!オイ!オイ!』
というコールです。
曲名は知らなくても、聴いたら「あ〜」と理解する人は多いと思います。
今回は、その『バモ日本』に関しての違和感というか気持ち悪さがどうしても自分一人では処理できなかったのでブログで吐き出させてもらいたいと思います。
僕とサッカーについて
前提として、僕自身のサッカー観戦歴を説明しておきます。
サッカーよりもプロ野球派で、
普段はJリーグも海外リーグも観戦しませんが、
2006年 ジダンの頭突き、ピッチでうなだれるヒデ。
2010年 終始やかましいブブゼラの音、日本代表の躍進
2014年 開催国ブラジルがまさかの7失点
など、一般教養としてのW杯のハイライトは押さえているし、2010年に関しては日本戦をリアルタイムで観戦していた程度にはサッカーを見ています。
またスポーツ中継に限らず、テレビ自体好きな方なのでよく見ます。
そして今回のロシアW杯は、嫁 がロシア人ということもあり、いつもよりも前のめりになってW杯を追いかけていました。
実際、ロシアW杯で使われる会場の都市についてご紹介する記事も書き↓
読者の方から反響をいただいています。
そんな中で日本代表がコロンビアから先制点をもぎ取った直後から、今回のW杯の日本戦はすべてリアルタイムで観戦してきました。
日本代表の戦いについては、僕はどの試合も称賛したいと思っていますし、「誰だれがどうだった」とか批評するだけの知識もないので特に言えることはありません。
そんな僕ですが、『バモ日本』という応援歌にはどうしても違和感を禁じ得ないのです。
正確に言うと、『バモ日本』そのものはすごくいい曲(コール?)だと思います。
ノリが良くて、簡単なのでだれでもスッと入って一体感を味わえる。
違和感を感じるのは、それを急に受け入れた世間に対してです。
『バモ日本』、いつの間に定着してたの?
僕の記憶では、2010年のW杯の日本戦の応援では聞かなかったような気がします。
決勝トーナメント進出に沸く日本のサポーターを取り上げたニュースでも『バモ日本』のコールは聞いた記憶がありません。
2014年は、大学での活動が忙しかったのと、日本代表の結果が振るわなかったこともあり、W杯をほとんど観ることなく終えましたが、
大学のキャンパスからの帰りの渋谷駅周辺でも試合後のサポーターたちから全く聞いた記憶がありません。
僕の記憶だけを辿ると、『バモ日本』はここ2年くらいで急に浸透してきた感じの応援歌だという印象があります。
もしそうだった場合、世間に対して気持ち悪さというか、もはや恐怖に近いものを感じてしまいます。
ごく最近のものなのに、なに食わぬ顔で日本代表の応援の主役になった『バモ日本』。
これは例えるなら、
転入生が朝のホームルームで担任の先生に紹介されることもなく、転入の挨拶もなかったのに、周囲のクラスメイトたちはその生徒が昔から友達だったかのように振舞っているような気持ち悪さ。恐怖。
これがもし、ニュース番組などがどこかのスポーツバーで「『バモ日本』という応援歌が最近流行ってきているみたいです!2018年W杯はバモ日本で応援しましょう!」みたいな紹介(先ほどの例で言うところの転入の挨拶)があれば、僕も「ああ、確かに最近見るねー」で受け入れられたんですが、そんな特集を見ることはありませんでした。
①日本全体が”なんとなく受け入れた”結果、あまりにも急速に浸透してしまったパターン
もしこのパターンだとしたら、僕はものすごくイヤです。
”右へ倣えの熱狂”
ラジオ体操や、校歌斉唱などで、うろ覚えの部分を右へならえでごまかした事は誰にでも経験があるのではないでしょうか?
もちろん、「右へ倣え」は悪いことではありません。
ラジオ体操や校歌のような式典をやり過ごしたり、日常生活・社会生活を円滑に進める上では欠かせないことです。
ただ、先ほどの受け身の出来事とは違って”サッカーの応援”は能動的な行動です。
その中から生まれる”熱狂”までもを右へ倣えで済ましてしまったのではないか。
そしてそれが日本国民全体の規模で起こってしまったのではないかという気がして、そこに対してどこか寒気のようなものを覚えました。
日本全体が、「巨大な何か」に呑み込まれてしまったような喪失感さえ感じています。
今回はそれがたまたまバモ日本を介して起こった(と僕が思っている)だけで、バモ日本もサポーターも悪いわけではありません。
「集団」という物体の恐ろしさを垣間見たような気がします。
②「僕だけがおかしい」パターン
もう一つ考えられるパターンは、僕だけがたまたま取り残されてしまったというケースです。
というか、このパターンであってほしい。
『ズンドコベロンチョ』
世にも奇妙な物語の名作の一つに『ズンドコベロンチョ』という作品があります。
草刈正雄が演じるエリートビジネスマンが、ある日突然自分が全く知らない「ズンドコベロンチョ」という言葉が周囲の日常会話に出てくるようになるが、当たり前のように使われすぎていて恥ずかしくて聞けない。というストーリーです。
「一般常識はもちろんのこと、人並み外れた知識を持つはずのオレに知らない言葉があるなんて・・・」
「そしてそれをみんなが当たり前のように使っているなんて・・・」
という、不安や恐怖を描いています。
ズンドコベロンチョはかなり極端な例ですが、こんな感じで自分だけに生じた”記憶のエアポケット”のような現象という可能性も残されています。
僕としては、こっちのパターンであることを心から願っています。
『バモ日本』が、僕にとってのズンドコベロンチョだったという結末であれば嬉しい限りです。
まとめ
『バモ日本』に対する違和感、もしかしたら他にも感じている人がいるかもしれません。
でも、W杯という一大イベントだし、なんだか聞くに聞けないという雰囲気や、日本代表の下馬評を覆す大躍進で、なんとなく押し切られる感じで、この『バモ日本』に乗っかってしまった人は他にいないでしょうか?
同じ心境の人が居たところで何も話すことはないんですが(笑)
もし共感してくれる方がいたら嬉しいですし、僕だけがおかしいという結果でも嬉しいです。
ただ、この違和感を言語化しておかないことにはなんだかこの先も日本代表を応援するときにこのモヤモヤした感覚を持ち続けるような気がしたので吐き出させていただきました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。