【指定難病】高安動脈炎(大動脈炎症候群)で3ヶ月間入院しました



今回は僕の妻 がかかった高安動脈炎という病気についての記事を書こうと思います。
正直、どこから書けばいいのかわからないほど伝えたい情報があります。

それをどうにか一つの記事に詰め込んだので膨大な情報量になってしまいましたが、きっと誰かの役に立つと信じて入院中に色々なことを書き溜めていました。

まずこの記事では、

①高安動脈炎という病気について
②闘病生活を時系列でまとめる
 ②−1入院まで
 ②-2 入院生活
 ②-3 退院後

という流れで、当時の僕たちの心情を交えつつ書いていきたいと思います。

①高安動脈炎という病気について


参考サイト:難病情報センター|高安動脈炎(大動脈炎症候群)(指定難病40)

高安動脈炎(大動脈炎症候群)は国の指定難病の1つです。
俗に「高安病」「脈なし病」と呼ばれることもあります。

日本人に発症することが多く、この病気を発見した高安博士の名前がつけられています。

症状は、大動脈(部位は人によって違う)に炎症が起こることで動脈が閉塞、狭窄を起こし、それによって虚血障害が起こり様々な合併症状を起こすという複雑な病気です。

発病の原因はまだ不明で、遺伝の可能性も低いと言われています。
リューの場合も家族に高安動脈炎になった人はいませんでした。

②入院生活を時系列順に振り返る

 ②−1入院まで
 ②-2 入院生活
 ②-3 退院後

②-1 入院まで

【病気が見つかるまで】


私はロシアにいた頃からここ何年かずっと血液の数値が悪かったです。
あと立ちくらみになることも多かったです。
風邪をひいていないのに咳をすることも多かったと思います。
咳で病院に行くとといつも気管支炎の診断を受けて、気管支炎の治療を受けていました。

【2017年】

6月に日本に来てすぐショーゴと結婚して、それからずっとショーゴの実家で畑仕事を手伝っています。

8月くらいから、光がすごく眩しく感じるようになりました。
お風呂に入るとすごく強い立ちくらみが来て何も見えなくなりました。

10月、11月は歩くといつも眩しくなって何も見えなくなることもありました。
この頃は街を歩く時はショーゴに掴まりながら歩いていました。


徐々にリューが農作業中にサングラスをかける頻度が増えていき、曇りの日でもサングラスをかけるようになったころからハッキリと不調を感じました。
このころは僕もうちの両親も目に原因があるのでは?と思い、眼科を2軒ほど周りましたが眼球に異常は全く見られませんでした。

その後は最寄りの総合病院である倶知安厚生病院にかかりましたが、「貧血」と診断されて貧血用の薬を処方をされただけで終わりました。
しかし、その1ヶ月後の検診でなぜか血液の値はさらに悪化していました。

目に異常はないということで「貧血からくる酸欠が原因なのでは?」と僕が勝手に判断し、酸素カプセルに入ってみたりと自己流の治療も模索しました。

【11月30日】

倶知安厚生病院で3度目の検診を受けました。
このとき初めて『高安動脈炎の疑いがある』という宣告を受け、札幌医大附属病院で精密検査を受けるように伝えられました。

【12月5日】

札幌医大附属病院で精密検査を受けた結果、高安動脈炎ということがほぼ確定しました。
そしてリューに即入院が告げられました。

実は12月17日からはアメリカで2週間ほど新婚旅行の予定があったんですが、この時にドクターストップがかかりました。

②-2 入院生活


入院してから2週間は血栓ができるのを防ぐために常にヘパリンを点滴されている状態でした。
動脈がかなり細くなってしまっていて、いつ血栓ができてもおかしくないところまで悪化していたらしいです。

採血は土日以外毎朝ありました。


血圧も1日3回測定がありましたが、リューは当初“下40上60”という異常な数値でした。
左腕に至っては測定不能でした。
これが高安動脈炎が「脈なし病」とも呼ばれる理由なんだと理解しました。

入院してから数日は甘いものや間食に制限はなく、お見舞いのケーキを自由に食べていました。

このときは僕もリューも年内には退院できると思っていました。

【12月9日】

リューと僕と僕の両親が先生に呼ばれ、詳しい話をしてもらいました。

うちの家族と一緒にリューのMRI画像を見た時は正直言って絶句してしまいました。

この写真は慶應医学部のHPに掲載されていた見本ですが、「狭窄」のレベルがこんなものではなく頸動脈の片方はほぼ消滅していて、もう1本の頸動脈もかなり細くなっていました。

「よくこんな状態で今まで生きていた」というのが率直な感想でした。

投薬治療開始

リューの病気を高安動脈炎と仮定し、ステロイド(薬の名前は「ブレドニン」)の投薬治療が開始されました。

ステロイドは炎症を抑える目的の薬で、高安動脈炎の治療の基本です。

効果も大きい反面、副作用も大きい薬で徐々に量を減らしていきます。
最初は1日に50mgからスタートしました。

薬の内容はステロイドと、それ以外はすべてステロイドの副作用を抑えるための薬です。
これだけ薬を飲んでも副作用が起こります。

リューに起こったステロイドの副作用

・血糖値が上がりやすくなる
・食欲が強くなる(食後1時間でお腹が空く)
・虫歯になりやすくなる
・肌荒れがひどくなる
・水疱瘡ができた
・転んだりどこかにぶつからなくても、内出血してアザができる
・気分がひどく落ち込む時がある

その他に一般的な副作用として
・筋肉が落ちやすくなる
・体の免疫力が下がり、感染症にかかりやすくなる
などがあります。


この日はじめて、「処方量が大きいうちは病院で経過を見て、ステロイドが一定量まで減ったら退院できる」ということがようやくわかりました。

この、”ステロイドが一定量まで減ったら”というのが、僕たちの想像をはるかに超える長期間でした。

「年内には退院できるよ」
「2月には退院できるよ」
「3月には退院できるはず」

というように、退院日の予測が自分たちの中でどんどん下方修正されていくのが辛かったです。
先生や看護師さんたちからは、2月に入るまで一切「退院」という言葉が出てこなかったので、かなり長引くかもしれないという覚悟も決めていました。

入院生活の感想

私の入院生活はこんな感じです。

・1日4回の血圧測定
・毎食後に血糖値の測定(数値が200を超えるとインスリンを注射する)
・平日は毎日30分の軽い運動
・数日に一回の採血
・週1回のレントゲンや内視鏡検査

入院中は病院食以外の甘いもの・間食が禁止でした。
飲み物は甘くなければいくら飲んでもOKだったので、よくスタバのラテを飲んでいました。

札幌医大附属病院は1Fにスタバ、2Fにファミマがあって、すごく便利でした!

病院食はすごく美味しくて、1回も残したことはありません。
朝食はごはんかパンを選べたのが嬉しかったです。

病室は6人部屋でほとんどいつも満員だったんですけど、みんな先に退院して私だけがずっとその病室にいましたw

暇すぎて折り紙ばっかりやっていたら、退院した時にはこんなになっていました↓

退院した今だから言えること


実は2回だけ内緒で病院を抜け出したことがあります。

1回目はどうしても雪まつりが見たくて、ショーゴに頼んで雪まつりの前日の大通公園をドライブしました。

車からだったのであまりいい写真じゃないですけど、雪のお城が一番感動しました!
北海道の雪まつりはずっと前から憧れだったので少しだけでも見れて嬉しかったです。
来年は実際に会場で見たいと思いました。

2回目はポケモンGOでミュウツーのバトルに当選したときですw

初めてのミュウツーだったので絶対に自分で戦いたかったから病院を抜けてバトルに行きました。

お見舞い中心の生活


札幌には僕の母の実家のマンションがあるので、そこに滞在して病院に通っていました。

リューが入院した12月5日から2月15日までの73日間、僕は1日も欠かさず病院に行きました。
2月下旬からは徐々に農作業が始まったので、たまに実家に帰ってはまた札幌に戻ってお見舞いというサイクルになっていきました。

この冬は一切仕事もせず、病院に行くかポケモンGOをやるという日々でした。
僕の人生でここまでお見舞いをしたことも、ここまで遊び呆けたこともありません。

たぶん1日5~6時間は病院にいたと思います(笑)
同部屋の方には迷惑をかけないようできるだけ共用スペースで過ごしたり、病室では極力小さな声で会話をしましたがそれでも他の方にはご迷惑だったかもしれないと今では反省する部分も多々あります。

病院では一緒に映画を観たり本を読んだりポケモンの話をしたりして過ごしていました。
映画とポケモンGOという共通の趣味のおかげで僕たちはどうにか闘病生活の辛さから逃げ切れたんだと思います。

たまたま同時期に親戚がクモ膜下出血で近所の病院に入院したこともあり、僕は2人のお見舞いを掛け持ちしていた時期もあります。
そんなこともあり、今では『お見舞いのプロ』を自認しています。

お見舞いのプロとしてのテクニックはいつか別の記事で披露したいと思います。

退院

【3月17日(土)】


ついに退院の日が来ました。

僕もリューも1週間程度の検査入院くらいのつもりでいたのが、退院まで103日かかってしまいました。

103日もかかったのに、先生からの評価は「順調そのもの」ということでした。
順調じゃなかったら一体どれくらい入院するのか想像もつきませんが、高安動脈炎とはそれくらいの重病なんだということを改めて認識しました。


病院を出るとき、いつも行っていたスタバの店員さんたちから退院のお祝いのメッセージをもらいました。



このサプライズはすごく嬉しかったです。

先生や看護師の皆さんたちも私の退院を心から喜んでくれていました。


3ヶ月間でかかった費用は約45万円でした。
12月のうちにショーゴが指定難病の申請をしてくれたのでいくらか戻ってくるかもしれませんが、私の場合は最大で10万円くらいだと思います。

今は月一回の通院と薬代で毎月15000円くらいかかっています。

②-3 退院後

退院後の生活のルールは、

・食事の塩分やカロリーに関しては特に制限なし
・アルコールはOKだけどカクテルなど甘いお酒はダメ
・間食は血糖値が上がるのでダメ
・甘いものは週に1回だけOK
・外出するときはマスクをつける

とにかく糖質に厳しい生活なので、甘いものが大好きな私には大変ですw

そして、今飲んでいる薬はこんな感じです。

これでも減ってきたほうですw

今の所はまぶしさと立ちくらみはありません。
血圧も調子がいい時は上が100を超えるようになりました。

怖いのは再発のリスクです。
ステロイドを減らしている最中に炎症がぶり返すこともよくあるようで、それを起こさないようにルールを守りながら月1回の通院をしています。

お世話になったみなさまへ


この難病を発見してくれた倶知安厚生病院の皆様、治療してくれた札幌医大附属病院の皆様、リューと仲良くしてくださった同室の皆様、毎日美味しいコーヒーを淹れてくれたスターバックスの皆様、本当にありがとうございました。

この記事は、リューが高安動脈炎の治療で経験したほぼ全ての出来事をまとめました。
この記事が今現在、『高安動脈炎』で苦しんでいる方々、原因不明のめまいや立ちくらみ・虚血症状で悩んでいる方々にとって少しでもお役に立てれば嬉しいです。


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